スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ノート

2013.05.23 23:53|過去のお話
≪1ヶ月間、処方箋を守りブログを更新生活19日目≫


今日はどうしてもODがしたくてね。
空のカプセルを買ってきては、一つ一つカプセルを開けて、中にハチミツを入れました。
別に飲み込んだら味なんてしないけど、何だかハチミツな気分で。


50錠くらいヒィコラと作って、完成し、ティッシュの上のカプセルの山の前で恍惚の表情の私。
さぁ飲むぞってグレープフルーツジュースを用意したら、たまたま来ていた兄に止められました。


「何してんだよ」


『いや…えーっと…』


「それ何?」


『えーっと…ハチミツ?』


「バカなことしてんなよマジで」


『……ごめんなさい』


何も言い返せませんでした。ホントにバカなことしてる。
あるぐさんのお兄ちゃんは、あるぐさん好みの眼鏡男子で、身長は高め。
色白で、スポーツはやや苦手という理系のインテリです。
正直、面倒臭いのに見つかったなと思いました。
お兄ちゃんはいつも理論的で、バカなあるぐさんは論破されまくりです。


「天気良いし外に出よや」


『やだよ…お日様で溶ける…』


「良いから行くぞ」


そう言って、お兄ちゃんは私の腕を強引に引っ張って、玄関のドアを開けました。
足が縺れそうになりながらも、私はお兄ちゃんに連れられてマンションの階段を下りました。


陽射しが眩しかったです。


『お兄ちゃん…私、日焼け止め塗ってないから帰りたいんですけど…』


「ダメ。帰ったらまたバカなことするから」


『…バカバカ言わないで下さい』


手は繋いだままでした。
兄妹で手を繋ぐのってどうなのかなとちょっと思いました。
でもあるぐさんは頭が腐っている上にブラコンなので、まいっかと思いました。


『ところでお兄ちゃん、なんで帰ってきたの?』


「んー?なんかあるぐが調子悪いって聞いたから様子見に来た」


『あぁそう…』


しばらくマンションの下の花壇を見ながらボーッと二人で突っ立っていました。
すると陽射しはどんどん強くなってきて、視界はどんどん黄色から白へ。
脳と心臓が握手して、前頭葉が振動しました。
ダメだ、倒れる、そう思ってお兄ちゃんの手を強く握りました。


気付いたら、


私はお布団に包まっていました。


ええ、そうです。



夢です。



兄なんていねぇ。
あるぐさんは二人姉妹の妹です。
でも昔から"お兄ちゃん"が欲しくて堪りませんでした。
フツメンで、背が高くて、頭が良くて、眼鏡かけてて、「バカなことしてんなよ」って言ってくれるお兄ちゃん。
フツメンなのがポイントです。
あるぐさんはイケメンを目の前にすると、遺伝子レベルで負けた気になるから。
あと、妹が私である以上、イケメン設定は無理があるから。


お兄ちゃんはいつも私のリストカットを容認してくれます。
でも時たまに「1週間我慢したらドライブに連れてってやるよ」とか言います。
私はそれが嬉しくて、本気で我慢とかしちゃいます。
ってここまで設定を考えている自分に今ちょっと引いた。
そして我ながらこの夢を見た時は、末期だなと思いました。


【昨夜のお薬】


ロヒプノール、ソラナックス、レボトミン、各2錠。

ベゲタミンA、ロゼレム、各1錠。


昨夜は友人と電話をしていて、気付いたら早朝5時前とかでした。
久々にスニらずに眠りました。
この「処方箋を守る生活」に入ってから初じゃないかな。
まぁ単純に通話中で片手が塞がっていたので、お薬を砕けなかっただけなのですが。


電話では"親"との接し方について少しお話しました。
まぁあるぐさんの場合、"親"とは奥さん(母)のことになります。


私、小学校何年生だったかなぁ。
中学年くらいですかね。
机に向かってノートにあることを書き書きしていたのです。


その名も「親に言って良い言葉・悪い言葉ノート」。


例えば仕事から帰ってきた奥さんに『お疲れ様』は言ってはいけません。
「ほんと疲れたわー」って返ってくるから。
これが当時のあるぐさんには凄く辛かった。
"疲れさせている"と言うのが辛かった。
私はまだ10歳かそこらで、お金を稼ぐなんて出来なかったから。
だからこの場合、単純に『おかえりなさい』が正解です。


当時の奥さんの帰宅時間は大体23~0時頃でした。
正直一人きりと言うのは寂しかったです。
でも『寂しい』は言ってはいけませんでした。
一度言ってしまって、悲しい顔で「ごめんね」と返ってきたから。
これもまた辛かった。
"悲しい思いをさせた"というのが当時の私には凄いダメージでした。
なのでこの場合は『何も言わない』が正解です。


とまぁ、こんな些細な語録を日々、書き書きしてました。
昔から暇人よな。ホント。


当時はまだ父親もいたので、「お父さんに好かれよう計画ノート」もあった。
これはそのまんま、父親にどうやったら好かれるかを考えたノートです。
内容は知れています。小学生の脳みそだし。
"父親の趣味の音楽を聴く"とか、"父親がTV鑑賞中は物音を立ててはいけない"とかそんなの。
でもまぁこの計画は3年くらい粘ったけど、成功しなかったです。


とにかく私は"親"という者の前では何を言ったら良くて、何を言ったらダメなのか、そればかり考えていました。
これは今でも変わりません。日々、試行錯誤。
でも一般的にはそうゆうのって皆考えないんだって。
勿論言って良いことと悪いことの境界線はあるのだろうけど。


例えばさ、今日奥さんがソファで「あードーナツ食べたいなぁ」と言ったのだけど、私は返事が出来ませんでした。


『買ってこようか?』が正解なのか、「食べたいね」が正解なのか、『私はダイエット中だから』が正解なのかが分からなくて。
うん、それから10時間経った今でも分からん。


でももっと自然で良いと友人に言われました。
まぁその"自然"が分からんのだが。


でも今後は奥さんとの生活が長くなりそうなので、ちょっと改善していかねばならないなぁと思いました。


って書いていて色々と思い出してしまって鬱だわ。
なんぞこれ。バカか私は。
しかし私の記憶は何故全て黄色いのか。
青春時代とか言うけども、どう振り返っても黄春時代です。
青さなんてないぞ。真っ黄色だぞ。


今日は13時頃にエビリファイ24mg、16時頃にソラナックス2錠でした。


寝よ。


↓参加中です。


人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

凍った烏

2013.09.17 21:43|過去のお話
初めましての方はこちらから→「取扱い説明書


≪処方箋を守りブログを更新生活≫


目標90日。現在88日目。



あと2日。



【昨夜のお薬】


デパス1錠スニ。

ハルシオン1錠。

レボトミン2錠。



もう3週間くらい奥さん(母)の顔を見ていません。
目を合わせられない。正面から見れない。横目も無理。
最近の奥さんはどんな風なのだろう。
今度こっそり確認しないと。でないと顔を忘れてしまう。
頭に浮かぶ奥さん像は、何故かクリーチャーで参っちゃうよ。




今日は少し昔話をしようと思うんだ。



あれはあるぐさんが13歳の頃だったかな。
あるぐさん、バレエをやっていてね。
この頃で7年目だったかな。
小さな研究所だったけど、この頃から大人のクラスでもレッスンが受けれるようになって、凄くバレエが楽しかった。
そんな頃だったかな。




「あるぐちゃん。月謝がもう半年も貯まっているのだけど…」




レッスンの帰り際に、先生にこう言われました。
先生は凄く申し訳無さそうだった。
石畳で出来た玄関に、冷たい風が吹きました。



初夏のあの日。



子供ながらに分かったよ。もうバレエ続けられないなって。
だってうちにはお金が無かったから。



この頃からどんどん家が荒れ始めました。
文字通り荒れていった。
散らかったキッチン。埃に塗れた階段。
リビングのソファには父親の服が山積みでした。
今思えば、誰かの服を畳んであげるのって、素晴らしい愛情表現だと思う。
でもこの頃にはもう、奥さんの不満も山積みだったのだろうね。



あるぐさんが生まれた頃から、我が家はもう「共働き」ってやつで、あるぐさんの地域では「共働き」っていうのは結構珍しかった。
奥さんはニューヨークカフェのマスターなんてものをやっていて、髪に金色のメッシュを入れて、赤い口紅を引いて、とても格好良かった。
父親はそのカフェのオーナーをしながら、ベンツを乗り回して何かしていた。
姉は当時、女子大生で、バイトをしながら一人暮らしを満喫していた。



皆、忙しそうで、あるぐさんは家庭で浮いてた。



奥さんが稼いでくるお金は、全て父親が浪費し、我が家にはどんどん物が増えていきました。
アンティークなソファーテーブルとか、黄色いオープンカーとか。
家賃7万円の小さな借家にはそれはそれは不相応だった。



私は月謝の支払いが滞っていることを奥さんには言えなかった。
何も知らないバカのフリをしていようと思った。
私が知ったらこの家は終わるなって気付いてたんだ。



でもさ、私がそんな気を遣う前にさ、奥さんはとうの昔に限界だったみたい。



奥さんはストレスから顔面神経痛になって、毎晩「痛い痛い」と叫んでいました。
私はそれがとても恐ろしくて、夜が来るのが怖かった。
そんな声は聞きたくなかったし、こんな声を聞かせる奥さんは最低だと思った。
でも口にするのはもっと最低だから、何も言わずに耳を塞いでいたんだ。




ある夜。



この日の情景は思い出すと、熱に打たれたアスファルトみたいにユラユラと漂うのだけど、乱雑したキッチンの椅子に腰掛けた奥さんは、煙草を片手にこう言いました。




「あるぐちゃん。お母さんもう無理」



私は何も答えませんでした。
何が無理かなんてもう分かっていたし、この先に続く言葉も分かっていたから。
只その時は、煙を吐いているのか、溜息を吐いているのか、どっちなのだろうってぼんやりと思った。



深夜、私は子供部屋で、寂しさから自分で作ったぬいぐるみを、切り刻みました。



「無理」って言葉が頭をループした。
そのたった二文字の言葉に、私のことも含まれているのが分かった。




それから1週間後くらいかな。
夏休みが始まりました。



それと同時に、奥さんも出て行きました。



奥さんは日頃から準備していたみたいで、大きな荷物は既に郵送済みだった。
持っていたのは小さなバッグ一つだった。



あるぐさんは笑顔でバイバイしたよ。
この時にどう挨拶をするのが正解か分からなくて、考えに考え抜いた結果、「笑顔」に決まった。



「きちんとご飯食べるのよ」



奥さんはそう言った。
だったら作ってくれよって思った。



「夏休みが終わったらちゃんと学校にも行くのよ」



奥さんはそう言った。
だったら毎朝起こしてくれよって思った。



「お父さんと仲良くね」


奥さんはそう言った。
だったら見本を見せてくれよって思った。




あるぐさん、本当は行って欲しくなかったんだ。
寂しかった。悲しかった。捨てないで欲しかった。
でも13歳のあるぐさんは無力過ぎて、引き止めることなんてとてもじゃないけど出来なかった。
引き止める理由がなかった。
だって私は奥さんの持っていた小さなバッグ一つよりも価値が無かったから。



「じゃあ元気でね」



奥さんはそう言って玄関のドアを閉めました。
玄関の向こう側から聞こえてくる足音が消え去るのを待って、聞こえなくなった時に初めて、大声で「なんで!?」と叫んだ。




それからというもの、あるぐさんは分かりやすく非行に走りました。
とりあえず煙草を始めて、ピアスを開けて、髪を染めて。
うん、我ながら恥ずかしいほどに分かりやすい。
バイクの後ろに乗って、赤信号をブッちぎる度に、このまま事故って死ねないかなといつも思ってた。
メンヘラーで参っちゃう。



家には帰らなくて、帰れなくて、川沿いの橋の下とか、マンションの屋上とか、大きな病院の庭?とかで暮らしていました。
あとはショッピングモールの階段下とか駐車場とかもあったかな。
でも私は野宿をするにはあまりにも幼くて、すぐに通報されては、その度に警察から逃げていました。



学校には通っていました。
屋根がある所なら何でも良かった。
野宿は何気に辛い。特に冬の京都は舐めちゃいけない。



そんな生活も1年も持たなかったんじゃないかな。
なんせお金が無かった。
無いなりに悪さもしたけれど、無理があった。



銀行のお金は全て引き落としていたし、父親はお金をくれる訳が無かった。



そうして私は気付いたら、始発もまだの地下鉄のホームに突っ立っていました。
持っていたのは学校の制服と兵庫への片道切符だけ。



結局、私はバッグ以下の価値しかないのに、奥さんを頼るしか無かったです。




心の中で、再び「なんで!?」という叫び声が響いた日でした。




↓参加中です。


メンタルヘルス ブログランキングへ

悦びの軍歌

2014.08.28 00:52|過去のお話
久々です。もうすぐ0時になるところ。

今日は嬉しいことがあったんだ。素敵なことがあったんだ。お酒も入っているんだ。
もう就寝前のお薬は投下済みなのだけど、込み上がる喜びが結界を張り、スイマーを寄せ付けないので久々にここに書いています。


ご無沙汰過ぎる今日この頃、皆さんお元気ですか。


私は健忘が激しすぎワロスで日々を振り返れない生活が続いているけど、今日は本当に本当に嬉しくて、夜空を見上げたらそのまま宙に吸い込まれそうになったよ。
昔に行ったプラネタリウムを思い出した。
私は屋上から飛び降りるよりも、空を突き抜けたいな。
毎回言っているけどさ。突き抜けるのが本当に好きなんだよね。


あ、先に書いておくけど、投下したお薬は多分それなりにお仕事はしてくれているので、文章がおかしかったらごめんね。
なんか妙に神経が研ぎ澄まされていて、何書くか分かんないや。今日。


この前、通院日でね。
いつもは大体15~20分くらいの診察なのだけど、その日は30分を越えるカウンセリングみたいになっちゃってさ。
なーんか色々と家族構成だの何だのかんだのを掘り下げて掘り下げて聞かれたよ。
あれは何かね?なんで急にそんな話になったのかサッパリ分からないのだけど。


健忘に関しては「そうやって忘れることで精神を保つんだよむにゃむにゃ」みたいなことを言われたよ。
むにゃむにゃとか寝てんのか主治医。まぁ良いけど。
でも変に納得をしたのを覚えている。
毎回そうなのだけど、割りと良いことを言うんだよね。今の主治医。
でも私はというと回転椅子に座ってグルグルと回りながら診察を受けているものだから、何が何だかだよね。
回る椅子を見ると回りたくなるんだよ。うん。


なんかとっても今更だけどさ、私が10歳にも満たない頃にさ、世間でもよく転がっている虐待的なことを受けたことがあった訳でさ。
何で急にこんな話をしているのかよく分からないのだけど、まぁあったのだよ。
幼いながらに人生の厳しさを知ったんだ。でもよくある話だとは思ってるよ。

さっきから妙にチラつくんだよね。暗い倉庫での思い出が。
子供の私1人、大人2人。敵わないじゃんねぇ。ヤダねぇ。全く。
そもそも当時の私は、今から何が開始されるのかすらよく分かってなかったよ多分。
擬音で現すなら"キョトン"だよ。うん正にこれ。

でもそれなりに知識は持ってるもんでさ。
子供って見せかけとは裏腹に割りと成熟してると思うよ。
私個人の結果論かもしれないけれど。

だって開始5分くらいで察したもんね。ああ今から始まるんだなって。
実際はそんなに冷静じゃなかっただろうけどね。
だってメンタル弱すぎワロロンな私はその後、即効でもう一人のあるぐちゃんを作り上げて記憶を押し付けているしね。


でも生命の危機は感じなかったんだよね。多分。
何故だろうね。殺されることはないなって何故か思っていた。
幼児独特の勘かね。子供ってそうゆうのありそうじゃん。無根拠だけど。
まぁ単純に殺すメリットが無かったからね。当時の私は"メリット"なんて言葉も知らなかったけど。
あ、シャンプーのメリットなら知ってた。うん。


割りと暴力的だったよ。台の上に上半身だけうつ伏せにさせられて、何かで殴られた。
私からは見えないから分からなかったんだけど、あれ何で殴ったの。痛ぇよ。


叫び声なんて出ない出ない。助けを呼ぶとかそんなこと微塵も浮かばなかったな。
なのに呻くと喜ぶんだよね。ああ、そういうシステムかと思った。
そして何をどういった順序でされるのか、それに対する不安しかなかったんじゃないかな。

その大人の片方がお酒らしきものを片手にやってたんだけど、頭からぶっかけられたわ。ビールみたいなの。
何の意味があったのか未だに謎だよ。そんなことで征服欲でも満たされるのか。
片方は苗字だけは覚えていたのに、今じゃもう両者とも思い出せないや。


滞りなく作業が終わった後は、血だらけの下着を近くの水道で洗ったのを覚えているよ。


って、なんでこんなことを今更思い出してるのかな。


別にこの件に関しては何にも捉われていないつもりなのだけどね。


でもチラついて邪魔だから書いているの。


なんかバババーと書いちゃったから、スルーしてくれて大丈夫。
いつもコメントくれる方、ありがとう。
前回の記事ではご心配をおかけしました。


今回の記事ほどコメントのしにくいものもないだろうから、無理にしないでね☆


拍手コメントをくれた方、お返事が遅くなってごめんなさい。
次回こそ、お礼を書かせて頂きます。


ちょっと殻に篭ってたけど、孵化するから、待っててくれると嬉しいな。


さーて。ねーれーるーかーなーーーーーーーーーーーー?


じゃあまたにん❤


↓参加中です。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ
★BLOG RANKING★
スマホの方は✪をタップ
✯PROFILE✯

あるぐ

Author:あるぐ
 
リストカッターの解離分裂大炸裂な頭ゆるゆるとろろの脳髄記録。気まぐれ故のまったり更新。

初見様はカテゴリーの『はじめに』を読んで頂けると感謝です。が、バカみたいに長文なので注意。

✮ฺTHANKS ✮ฺ

▽ CATEGORY▽

❣❣ Thanks for the click ❣❣

✪BLOG RANKING✪⏪スマホの方⏩

⏪ PCの方 ⏩

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル日記へ ⏪ PCの方 ⏩

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

⏪ ⏪ リンク ⏩ ⏩

【笑う動物】をリンクする

✉お問い合わせ✉

検索フォーム

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。